CALMAとは全文
CALMAとは未来の部族表現を現代におきかえたアートです。
博物館で鑑賞する部族とは、遠い異国の密林の民であったり、あるいは数千年前の人類の記録をいいます。しかし、今を生きる我々もまた未来の鑑賞対象であるはずです。
今、この時代をどう生きたか?何を作り何に重きを置き何に問題定義して生きたのか?さまざまな事に思いをはせて作品を作っています。
衣/食/住/移動/信仰対象/音楽や、時には医療に及ぶかもしれません。
時と場所に合わせてそれぞれのCALMAのあるべき作品を表現しています。
現代では今を生きる部族のあるべき姿を作品展示し、未来では部族の資料としての博物館展示されるような世界観をめざしています。
人間が自然であるが故に「無くならない行為」が存在することに目を向けました。例えば、類人猿の時代から人に備わっている手や指、腰を下ろす形をしている姿は、未来に物を握るという行為や座る行為が無くならないことを物語っています。人類の姿が膨大な時間とともに進化してきた本能や体の仕組みはこの数百年で変わる一過性の物ではない。壮大な進化を遂げてきた、現在が集大成なのです。また、同じく数万年のあいだ人間が生活の一部のように寄り添ってきた素材や行為もまた数百年程度でなくなる物とは思えません。
この先科学が発展し、便利でスマートな電脳世界が生まれようと、人の本質的行為は必ず残るでしょう。残るどころか人にとって重要な事とはどういうことなのか?を深く考えさせる時期が来るように思います。
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移動する、火を使う、水をつかう、生き物を捕獲し、季節を感じ自然を食べる。生き物や自然と関係を持つこれらすべてがこのさき未来にも人類が必要な物と考えている。どんなに事足りようが、人があたたかい料理を手放すとは思えないし、必要な栄養だけを数値管理して生きていく未来は正解ではなく、時空を転送できるタイムマシンができたとしても、人は熱い!旨い!と唸りながら飯を食い生きるはずです。そうでなければいけません。
また、信仰対象に目を向けると、人は何かを信じ込める性質から神をつくりましたが、現代では会社やお金が神の変わりをしています。共有する能力を拡張させ、集団の力で不可能を可能にし地球を”しらぬまに”制圧している人類。地球上に人類が中心で回っていない場所はなく、金銭を神とした経済は目に見えないレベルで地球のキャパシティーを超えはじめてるようです。そして無知にして「自然(人間)が自然」を滅亡させようとゆっくりゆっくり地獄の淵にちかずき、その姿は我が身の尾を喰う蛇に見えます。
重要視すべきは絵に描いた未来ではなく、地球環境という膨大な時間の中で生き抜いてきた生物や道具をアップデートし未来につなぎ飛躍させることだと信じている。まだまだ人が介入できていない宇宙が地球の中にあることを人間が軽視しているように感じます。人はまだ空中で生活はしていませんし、水中でも生活していません。
新しい発想や物は混ぜることで産まれ、生物は混ざることで強くなります。人という特徴を最適化して生きれるような、そんな世界を感じるアートがつくれないかとカルマの世界観を部族という目線で構成しています。