「カルマの祭」 兵庫2025/11/15-11/16
「カルマの祭」2025/11/15.16
アートは時代の最先端を提示し続けてきた。経済成長の先端にたどり着いていらい、現代は進む方向を見失っているように見える。経済成長の恩恵を実感せずにきた世代が大人になり、完全に旧型日本人との価値観の差がでてきており、旧型日本人の価値観は極端に古くなっている。
「未来は、現在にある。」
人と自然は自他ではなく、人も生物という自然。
数百年、数千年つづいてきた人や自然の成り立ちには進化に必要な強度があり、未来に必要な物です。よくみれば現代に未来に残る物と残らない物が存在していて、よく見ない現代が数万年の進化を破壊しかねない。
今、時代の最先端を押し広げていくのは何で何を作る事か?
集合体としての街は、何が集合して出来ているのか?
新人類は、金で交換可能な物だけではつまらないと感じている。しかし、金に振り回される大人を見て、混乱している。そりゃそうだ、六な物が売ってない。ほしい物などないのが普通。そんなことよりも人間として生きている実感や充実、共有、空間で遊ぶことをもとめている。
自然=じねん=みずからそこにある事、何もしていない環境のことを自然という。あらゆる生命、命のあるがままをほっておいた姿が自然ということになる。人も同じ、ほっておいたら、自分の中の自然が叫び始める。
自然の中に人工を生んで未来につなげていくとは大いに重大なことだ。
自然や生き物と十分に時間を共にした経験のない者が、陳腐な人間の幸福を是として街にはびこらせる。安い材料で、大量消費の技術がつくった街が陳腐化して当然というわけで現代社会は陳腐化する。どうだい?お宅の街の駅まえは?商店は?魚売る人、野菜売る人は生き物や環境に詳しいかい?食べるもの、着る物、身を置く場所を作った人に話を聞くのはおもしろいか?。
カルマの祭の出店者はよくしゃべりよく遊ぶ。売る方もしゃべるし、買う方もしゃべる。渦巻く遊びの中の喜びと生活がとてつもない満足感となる。そんな出店者と、その場にいた人々の息を合わすように音楽がある。音楽はファミレスのように、見たことないLIVEを味見するための安物欲張り装置ではなく、表現したい空間の息を合わせて、一日の抑揚を演出する必要不可欠な芸術、芸事だとかんがえている。
このたび第一回に設計したカルマの祭りへのチャレンジは、感じたことのない満足感に満ちあふれていた。一体あれは何だったのだろう。よすぎた。。
皆のオーラが音楽に乗って揺れおどっていた。ニュートライブのユートピアがはじまった。
