何故ラジオをはじめるのか?
言葉とは、ほぼ全ての人と共有できる最強の表現である事に、今更ながら気がついた。さらに、ラジオは耳から聞く物である。つまり眼や体は別の仕事をしていても楽しめるのがラジオだ。
昔から移動が多く、電車では映画や本、車では音楽を消費することが多いほうだが、映画はサービスの制限などで見たい物を充分見る事が出来ない。さらには電波の状況で見れないことも多く合点のいかない悶々とした気持ちで時間を無駄にすること多々。音楽は流石に飽きてくる。
だが、近年YouTubeやポッドキャストなどの音声コンテンツを移動中に聞くようになった。
遠方移動の高速道路運転というのは非常に眠い。長時間にわたり単純作業を強いられるので退屈でしょうがない。安全なときの高速道路にはほどよい振動と、ほどよい視覚情報により脳はぼんやりとここちよく眠くなるばかりだ。
音楽をかけたり、刺激物をとったり、たばこの火を肌に近づけてみたり、顔面を殴ってみたり、山椒を噛んでみたり、事故を起こすよりはましだとあの手この手を試したが眠気にかてるものはなかった。そこに出てきたのがラジオ形式音源コンテンツだ。そうです、移動中の耳はがら空きなのです。
音源は耳だけあれば消費できる割りに、脳が活性する内容であれば眠気など何処吹く風、脳さえ回転していれば眠くは成らないことを発見した。人は何もして無くても脳さえ活性していると眠くならない。夜寝たいのに寝れない人もこの現象に違いない。
※余談だが「聞いてます」「がんばります!」で眠そうにしてる後輩達はみな脳みそが活性していない証拠なので関わるのを止めたほうがいい。嘘をつく脳と興味のない本性が拮抗して負けて眠くなっている根性無しは、本気とはほど遠い奴だからだ、興味がある話が眠いなんてあり得ない。
もとい、、、
ARTはある程度の教養が必要である。無駄に多い知識をひけらかして前例がないと物事を判断したがらないセンスのない人間も多くいるが、しかし、ほどよく適度な知識がないといけないのは間違いない。これを学校で習うべきだが日本の美術教育は先生がまず印象派以外のARTに触れていないので論外なのだ。そこで、ARTや新しい未来を切り開きたい人のために、クリエイティブな視点からの話を提供できたらと思いたった。さらに何より、自分のややこしいART活動を知ってもらう事にもなる。更に言うと、コミュニケーションツールとしての言葉は最強に近いとみている。
聞く方の暇つぶしとしてメリットがあるし、新しい未来を作ろうとする人間の本音やよもやま話も聞くことができるのは贅沢なことだと思っている。気がつけば仲間や理解者が増え、よりよい物作りが評価される環境ができるのではないか?
そんなコンセプトでラジオを始めます。
きっとあなたのよい暇つぶしになれるはず。
お口の恋人「KISS MINT」
ならぬ、
お耳の恋人「RADIO CALAMA」どうぞよろしくおねがいします。